今年の干支・癸卯・きぼう(みずのと・う)の紹介
新年あけましておめでとうございます。
旧年中はフィトアロマ研究所の精油、キャリアオイルをご愛用いただきありがとうございました。
本年もよろしくお願いいたします。
1月4日(水)より営業いたしました。
本年の干支癸卯・きぼう(みずのと・う)は干支の活学の本の最初の干支癸卯(1963年)になります。読んでいて干支として良くない年みたいです。癸は陰で卯も陰になります。陽が入っていないので暗い感じがします。癸は水になっていますので規則正しく流れてるいる場合はいいが間違うと氾濫を起こします。卯は茂意味があるので余計に良くないです。
今年は十干の最後の癸になり来年は甲辰(こうしん)で、甲辰は旧体制が破れて新しい激動が始まることを意味してする。筋道を立てて生きていかないろんな問題が起こる。この干支(1903)、日露戦争の前年になり、そのまた前の癸卯は天保十四年(1843)で大塩平八郎の乱などがおき、内外情騒然たる年であった。予期せぬ出来事が起きる可能性が高いのでそれに対応をするためには筋道を立てて処理すれば繁栄に結びつくそうです。
今年の大河ドラマ徳川家康の時代と被るような気がしました。予期せぬことが日常的に起こる戦国時代に弱小の藩が天下を取るには、筋道がたった大儀名分があったから人がついてきて天下がとれたのだと思いました。
上記は下記の本を読んで思ったことです。
干支の癸卯・きぼう(みずのと・う)について
「癸・き」は揆(はか)るで、種子の内部に妊まれた生命体の長さが、計(はか)られるほどになったという象である。
「卯・ぼう」は茂で、草木が地面をおおう状態
十干は甲子(きのえ)にはじまって癸亥(みずのとい)で終わるが、この組み合わせを「六十甲子」と呼び、生まれてから六十年を経て、生年の干支を迎えるのを還暦とする。
十干に陰陽があるように、十二支にもまた陰陽があって、陽干と陽支、陰干と陰士が結びつく。
干支(エト)は、干(幹)は十干で、支(枝)は十二支です。十干と十二支は、植物の発生・繁茂・伏蔵(ふくぞう)の輪廻を表す。
上記はダルマの民俗学―陰陽五行から解くー 吉野裕子著 岩波新書より
本来の干支は占いではなく、易の俗語でもない。それは、生命あるいはエネルギーの発生・成長・収蔵の巡回過程を分類・約説した経験哲学ともいうべきものである。
即ち「干」のほうは、もっぱら生命・エネルギーの内外対応の原理、つまり challengeに対する response の原理を十種類に分類したものであり、「支」の方は、生命・細胞の分裂から次第に生体を組織・構成して成長し、やがて老衰して、ご破算になって、また元の細胞・核に還る――これを十二の範疇にわけたものである。
本年は干支の癸卯・きぼう(みずのと・う)の年であります。正しくは“きぼう”であります
癸の意味
癸はみずのと申しますのは、陰陽五行の思想が発達して、干支をこれに割り振り当てた時に、水に配したから“みずで”、これに兄弟(陰陽)立てて、その弟(兄はえ、弟はと)とってくっつけた。したがって去年は壬・みずのえで、今年は・みずのとであります。
「癸」は百姓一揆の揆と同じ文字で、揆計とか揆測とか、あるいは揆量などと申しますが、物事をはかるという意味であります。また「はかる」には、はかる標準や原則がなければならない。したがって
則とか道とかいう意味にもなりわけであります。そこで「癸」のいみするところは、万事則・道、つまり筋道を立ててはかる、処理するという意味になる。ところが筋道を誤ると、筋道をなくすると、物事は自然に混乱し、その結果はご破算にしなければならぬようにもなる。だから癸を平均の均、ならすという意味にも用いるのであります。
したがって、「癸」という干は、「万事筋道を立てて物を考え、処理していく。それをあやまると混乱し、あるいはご破算にならぬとも限らない」ということになるわけである。
例えば、政治が筋道を失ったような時に自然に起こる動乱、打ち懐し騒動のことを一揆と申します。
卯の意味
卯は、“ぼう”という音で、冒に同じく、また茆・茅と同じ意味であります。これは陽気の衝動であります。陽気が衝動し、発生するというのは、草木でいうならば、芽や葉がしげるということになり、したがって卯は茂に通ずわけであります。卯はもともと兎ではなくて、“いばら”・“かや”という文字であります。いばらやかやというものは、茂って、根がはびこって、こんがると、どうにもならぬものであります。もちろん中から兎も跳びだしてくるでありましょうから、まんざら関係のないこともありますまいが、本当は茅であります。
上記は干支の活学・人間学講和 安岡正篤著 プレジデント社より
いつもありがとうございます。
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